【事のはじまり】

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kennel_org@
『小学校3年生の子が、算数の問題「 3.9 + 5.1 」の答えを「9.0」と書いた為に減点された』と騒がれている問題で、この先生の行為についてネットで様々な意見が出ていますが、
わたしもこの件に関して言いたいコトがありますので述べたいと思います。

この算数の問題の正解は
『「9.0」の「0」に斜線を引き消さなければならない』らしいのです。
ところが『斜線がなかった』から『減点した』とのこと。

このささいな斜めの線1本について様々な意見が飛び交ったみたいです。
多く目に付いたのが「どっちだって同じなんだから、たったそれだけの事で減点するのはおかしい!間違っている!そんな無意味なルールは無駄!」という意見。また「別にいいんじゃない」など問題ない派から、「そのように決まっているものを、そのように教え教えられ、みんなそのように回答しているのに、なぜ自分が間違ったことの反省無しに、先生や指導要領のせいにするのか…」という意見まで様々。

さて、色々述べる前に、先に私の意見と立場をはっきりさせておきたいと思うのですが、
私の意見は『学校の先生がそう言うのならば従った方がよい』です。
理由はもう少し先で話します。
少々お待ちを。


また、もうひとつ同様な問題がありましたので紹介します。

「林修の今でしょ!講座」の年末の特番で林修先生が語っていた、
『体積を求める問題の解答の計算式を「縦 × 横 × 高さ」の順番通りに数字を当てはめて計算式を書かなければ減点された』とう件です。
hayashi-taiseki10

これも同じく私の意見は『学校の先生がそう言うのならば従った方がよい』です。

さらに、
以前このブログの『面白い算数の問題!』という話の中で、
『計算式の数字の順番』について書きました。<→リンク

簡単に説明しますと・・・
+・+・ ここから ・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
以下の問題文の式を答えなければならないとします。

 八百屋でリンゴを3個買いました。
 リンゴ1個の値段は100円でした。
 全部で値段はいくらだったでしょうか?

この式を「3×100=300(3個×100=300個)」ではなく
「100×3=300(100円×3=300円)」と書くべきであると。
+・+・ ここまで ・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+

これら3つの問題は、全てこれからお話しする理由があって「決められたルールには従った方がよい」と思っています。

これを読んでいる「減点はおかしい派」の方々もちょっとは私の意見に納得いただける・・・かな?とは思っていますので、是非最後まで我慢して読んで頂けると幸いです。

※ここで語られるのは「9.0問題」や「体積の順番」等について具体的な反論や回答ではなく、あくまでもこのような変な慣習の是非・要不要について私自身の考えを述べさせて頂いております。ご了承下さい。



【さらに面白い事実】

某Facebookにこんな面白い問題がありました。
『 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 - 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 + 1 x 0 = ?』
です。
この問題に答えた人の回答ですがこのようになっていました。

答え= 0  : 125万3千人程
答え=14 : 83万人程
答え=16 : 1万人程
答え=17 : 5千人程
(※ 回答人数=1月10日時点 URL=https://www.facebook.com/questions/10150204234287260/

正解は、計算順の規則通りに最初に行うべきかけ算の「 1 x 0 = 0 」をおこない、後は計算途中の「 1 - 1 」さえ見落とさなければ前から順番に何の問題も無く計算し、答えは「14」となるはずです。全員が。でも結果はそうはなっていない。
答えはなぜか圧倒的に「0」が多い。
もの凄〜く恐ろしい結果だと思います。
特別な引っかけ問題でもなければ、何か難しい計算をする箇所があるわけでもないのに…

小学校低学年なら分かりますが、大人が間違えるはずもないと思うようなこんな低レベル過ぎて笑ってしまうような問題を間違う大人がこんなにもいるという驚くべき事実!

まぁ大げさにしても何なので推測ですが簡単に言うと、
ただ「かけ算を先に計算しなければならない」というルールをすっかり忘れて最後にゼロを掛けている人がすこぶる多いってだけなんでしょう。
…にしても多すぎなんですがね (^_^;)

※答えが16になった人はうっかり見落としで済みますが、17の人は論外ですよね… 
「×0」を「+0や-0」と同列に思ってるし、それらの区別が付いてないんですから…(T-T)

でもまぁこんな単純幼稚な間違いを犯す人がこんなにも多いと何となく疑ってしまうワケですよ。小学校の算数の授業の慣習に「おかしい」とか「不要」とか声高に叫ぶ大人達がその実バカみたいに簡単な計算を間違っている事実を目の当たりにすると。

「"不要"と言ってますが本当にそうだと言い切れますか?」
「ナゼ"不要"と思うのですか?」
「"変なきまり"があると何が問題なのですか?」

と問いたくなる気持ちももなんとなく分かるでしょ?
…分かりません?

さて、
それで教育現場で行われているある種の「変なきまり」
茂木先生のいうところの「奇習」ですが、
「おかしい」のか「おかしくない」のか?
「不要」なのか「必要」なのか?

その前に!



【 誰のための議論なのか?】

私は小学校1年生の親ですが、うちの子が
5+3=8
という足し算の後に引き算をやらせると、
7−2=9
って迷いもなくやっちゃうんですよ。(T-T)
うっかりでもやらないような事を。

間違ってるよと指摘しても「ナニが?」って顔します。
引き算であるコトを教えてもまだ「?」って顔する時がありました。
「マジか!?ナニをどう教えたらいいんだ?」と思ってると
だいたいは子ども自身で「あ!」って気づいてくれます。

この時思ったんですが、気づかなかった時、何をどのように教えればいいのか?
基本的なことすぎて「足し算と引き算を間違えている」よりもっと簡単な言葉で教えるにはどうすれば?…みたいな事を思ったのを覚えています。

大人は「まじか!?足し算と引き算間違えるか?それそんなに難しい事じゃない…よね?」と思ってしまいますが、このような「大人のあたりまえ」で考えていたりしてもダメなんだ〜と。
で、どうしていいか分からず、
「あれぇ〜なんかへんだぞぉ〜」とか
「なな"ひく"にってなぁ〜んだ」とか
ものずごぉ〜く変なヒントを出してみたりして(^_^)

で、やさしい言葉で言ってみてそれで分かるのか?と問われるとそうでもない。
「言葉の選択の問題でもないんだ…。(T-T)」
ただ思考を切り替えてもの凄〜く単純簡単に分かりやすい言葉にしたってダメなものはダメなんだとも思った。
分かってくれないものは分かってくれないんですから、どうしましょ?

ホント子どもって大人の理解の範囲外なんですね。
ん〜〜〜学校の先生は偉いと思います。


ここで大事なのは「大人の理屈・思考・言葉ではこどもに理解させられない事もある」。
いや、もしかして「理解させられない事もある」ではなく「理解させられないのかもしれない!」という立場に立って教えなければならない、そう思って接しなければならないってこともあると。

 ※そんな事は知っている!という方も多いとは思いますが、
  教員免許を持っているわけでもない子育て初心者の私の、
  「今更ながらの気づき」ですので我慢して聞いて下さい。

『小学校1年生に教えるのが一番難しい』と聞いた事がありますがホントそう思います。
勉強を教えているとき「正しい!」とか「コレが正解!」とかを教えがちですが、
そんなあたりまえのことは学ばせる理解させることとは全く関係ないし必要なくって、
ただ『子どもに理解しやすいところに降りていって教えなければならない』感じがします。

大人の考えや都合、この世の正解などは全て取り払ってしまい、
もし遠回りなことや無駄みたいなことがあったとしても
「子どもに理解させるにはどうすればいいのか?」をただひたすら考えるだけ。

大事なのでもう一度いいます。
最も重要なのは「子どもに理解させるにはどうすればいいのか?」だけなのでは?。

なので、
「9.0の減点問題」や「体積や計算の順番問題」で、
「どちらが数学的に正しいのか」を論じる話がよく目に付きますが、
そもそもは学校教育の話なのですから「大人が自分的にはこちらが正しい!」って言ってる事自体変じゃないですか?
「子どもたち目線でものごとを見てみること」や「長い目で見て子どものためになっているのか?」について
それらが必要な事なのかどうかを考えないと意味ないんじゃないんですか?
って思うんですよ。

※目先の単純な議論が多すぎる気がします…。



【じゃぁ必要なの不要なの?】

「9.0の減点問題」や「体積の順番問題」をネットでは
・意味ない
・柔軟に対応しろ!
・融通の利かない硬い考えがダメにしてる
・応用の効かない先生が悪い
・学習指導要領が悪い
と非難したり
・ある程度決められたフォーマットは守るべき
と擁護の声があったりと様々です。

みなさんの意見ごもっともです。分かります。
とっくに算数や数学を理解し完全に自分の物にした方々にとって大変くだらない、ど〜でもいいようなコトだと思います。私もそう思います。
また小さい頃から勉強が出来、なんでも素早く理解し吸収してしまうような高学歴の方々には想像も及ばないような愚かな行為なのかもしれません。

ですが、世の中、すべてそのような人間だけではないのでは?

そうです!今まさに学んでいる小さい子供たちです。まだ論理的思考のかけらも持ち合わせていないですし、当たり前のコトも当然だと思われることもビックリするぐらいとんちんかんな答えを返してくる子供たちです。
また、さらにその中には見ていてイライラするほどの理解するのが遅い子もいるでしょう。

能力別に分けられ指導できる高校と違い、義務教育期間はそのような子供がゴロゴロいます。また、普段はすっと解けるような賢い子でも、ひょんなとき妙に引っかかって解けなくなってみたりするなんてことだってありますよね。

このような子供たちを指導する時に「懇切丁寧に…」とか「個別に…」とかって話もあるのでしょうが、全体を通して見ると「ある程度の規則性をもって指導する」方が子供が迷わなくていいのではないかと私は考えます。


「ある程度の規則をもって指導する」
カンのいい方ならピンと来ていると思いますが、
そうです「9.0減点問題」「計算の順番」などの全ての算数のくだらない規則がそうなのではないかと思っています。

右も左もわからない子ども達が迷わないように大人が勝手に決めた変なルールなんです。

※一応お断り:"くだらない"とか"変な"などの表現はネットでの反応の話で現在の学校現場で行いがそうであるという意味ではありません、念のため。

似たようなのよくあるでしょ?大人が決めたルール。
例えば「横断歩道渡る時のアレ」です。
「右見て、左見て、もう一度右見て、手を上にあげて渡りましょう」ってヤツ。
そう、大人はこんな事なんてしません。好き勝手に自己流で渡ります。
「雨の降る夜道で運転者に早く正確に認識してもらうために!」と言われたとしても、さすがに大人は手を挙げて渡らないですよね?
横断者としての経験値が高いので自分の好きな方法で確実に安全に渡れますから。

でも判断力のない、横断者としてだけではなく様々なことの経験値が低い子どもに好き勝手にさせては危険です。当然安全に渡れるように大人が何かしらの「きまり」を作ってあげそれに従わせる方がいいです。どんな子どもにでも確実に安全な方法を実行させる事ができる「きまり」はホントに良い事ばかりで必要なものなのです。

小さな子どもには、大人(指導者/先生)が勝手に決めたルールであっても、
「ある程度の規則をもって指導する」方がうまくいく事が多いと思うのです。
後に不必要となるような事、その時は大人にとってはくだらないよう事であってもです。

そのルールは、
途中でその本質的な部分のみを吸収し余計な部分=くだらないと思う部分はそぎ落とされ忘れ去られるでしょう。
それは本当にくだらないのではなく、最終的にはその子の身に実力になっていく。
成長するための、伸びるための、理解するための、そんな途中の1つのステップにしか過ぎないのではないでしょうか?

算数の「変なきまり」だってそうだと思います。

発展途上というかこれから!という初心者には、後々無駄とも思えるような何かしら「きまり」がいる。「今はかけ算を入れ替えても問題無い事は知っている」し「後々無駄である」と思うかもしれません。でも、それがあることによって訓練がスムーズにおこなえ、正しい方向に導いていけ、後々はいらなくなるようなものだけど思い返すとアレのおかげで助かったとか無駄ではなかったと思えるようなそんな「縛り・ルール・規則」ってのがある。

部活の根性論とか、いろいろあの当時は意味不明な無駄だったと思う事ありませんでした?
でも初心者の時にはそれらがあった方が後々もっと難しい物事を行うときに
あの変な事、無駄なこと、基礎的なことがあったからこそ今がある!
そんな風に思えるような事って1つや2つではなかったのでは?


さて、今一度聞きたいと思います。
そんなに「9.0の斜線を入れて消せ!」とか「体積の順番を順番通りに書け」って事が問題ですか?というか、もの凄くもの凄くもの凄く沢山の覚えなければならない事だらけの子ども時代に、そんな事1つ2つ覚える事に何か問題ありますか?
どうせ大きくなれば自力でみんな気づくんでしょう?順番は関係ないって。9.0と9が同じだって。じゃぁいいじゃない、修行の身である時分だけは先生の言う事聞いたって。

子どもの時は規則があった方が良い事多いのでは?



【そもそもこの考えの元になった事柄】

25〜30年くらい前から計算の順番問題は大事だと考えていて、
ずっとただなんとなくそう思っていたところに、
10〜15年くらい前だったか、
「『割り算』や『分数』が始まると落ちこぼれる子が出てくる」みたいな話を聞い時、
「そうだ!やっぱり計算の順番は大事だ!」とあらためて思ったのを覚えています。

なぜそう思ったのか?
ん〜〜直感で思った事を理路整然と語るのは難しいのだけど・・・

「そうだ!やっぱり計算の順番は大事だ!」と思ったと言うよりかは、
『割り算』や『分数』って計算の順番を間違ったらダメというか、
割り算って「何を何で割るのか」が大事じゃないですか?
分数って「どっちが上で、どっちが下か」って大事じゃないですか?
さらに言うと、割る時に「ナゼこのような変な計算をするのか」かって子どもって思ってそう。
さらにさらに言うと「割るって何?」「は?分数ってなに?」って子どもいそう…(^_^;)

つまずく気持ちすっげ〜分かる気がするんです。
整数の時は直感で指折り数えればよかったものが、
突然!概念のような世界に入っちゃう。分数。
この算数数学特有の意味不明な概念みたいなヤツ。

丸いケーキを切って何分の1とかやってたのに!いつのまにか
「『あまり』が出てくるところまではよかったんだけどな」とか
「"2と3分の1"とか"通分"とか出てくるとてんで分からない!」
こんな感じで何が何やら分からなくなってくる人が多いんだと思うんです。

で、もしかしてなんだけど、
「足し算引き算の頃から『何の為にこの計算をしていいて、じゃあ何と何をどうすればいいのか』を常日頃考えていれば、割り算の時に突然やってくる ”衝撃” を和らげるんじゃないのかな〜」とうっすら思ったたのが「算数の計算の順番が大事なんじゃないか」と思った最初のきっかけです。


これらは特に「文章問題」に効力を発揮してくると思ってます。
足し算・引き算・かけ算・割り算のすべてにおいて共通で。
特に、分数のとき起こりそうな「今この計算は何を何のためにやっているのかさっぱり分からないでやっている状態」も随分軽減できそうな気はするんですが?いかがなもんなんでしょうか?

最初から、文章問題のときに「何を何の為に計算している」のかを徹底して教えていれば
それらが文章問題ではなく式だけの計算問題だったとしても
この数式が何を意味していているのがちゃんと理解しているので、
ちんぷんかんぷん具合が違ってくるんではないかと考えているんです。

さらに理解させるには、逆のパターンを行うといいかもしれません。
「式だけの計算問題」から「その式が答えとなる問題」を作らせる。
数字の羅列だったものが別の実生活に即した形に見えてくるかもしれません。
そうしたらもう苦手意識よりも、身近なクイズのような物になるかもしれません、算数が。

ん〜無駄かもしれないけど、正確ではないかもしれないけど、遠回りと思われるかもしれないけど、横断歩道の例のように「右見て、左見て、もう一度右見て、左見て、さらにもう一度右見て、、、、、」ってくどいくらいに常日頃の地道な鍛錬訓練を続けることが後々効いてきて結果大きく違ってくるんじゃないかな〜って思うんですよ。



【計算の順番は必要なのか】

ここからは、さらに具体的な話をしていきたいと思います。

算数の「式だけあって計算するだけの問題」ってあるじゃないですか、
 1+3=
 5−2=
 2×4=
 6÷2=
こんなヤツ。これはいいんです問題ない。
ただ子ども達はいくつも数こなして慣れていけばいいだけ。OK。スルーします。

問題が起きやすいというか、今回問題にしたいのは「文章問題」ってヤツの方。

文章問題の回答の計算が「1+3」や「2×4」のように順番を入れ替えても問題ないような計算は良いのだけれど、答えが「5−2」を「2−5」、「6÷2」を「2÷6」のように順番を入れ替えてしまってはまるで違う答えになる計算を、テストの回答欄に何の疑いもなくあべこべに書いてしまう子どもがいるワケなんですよね、実際。
問題文に出てきた数字をそのままの順番で書いてしまう子どもが。
そして当然こんな式では答えが出せないんで答えの欄は空欄のまま、みたいな。
答えの欄が空欄…というか、答えが違うとか合っているかなんて事はどうでもよくって、
順番を間違えている子どもは「そもそも問題の問いかけている意味を全く理解していない」って事が問題じゃないですか。

個人的な考えで申し訳ないのですが、
小学校低学年〜中学年の子どもの算数の文章問題って答えの欄はいらないんじゃない?って思うんですよ。
文章問題って答えが合っているかいないかのテストだとは思ってないんですよ私は。あれは文章を読んで理解し、論理的に組み立てた式を完成させるまでが大事なんであって、答えは二の次でいいんじゃないかと。
なので「式」を「ちゃんと書く」ことが出来ればOKなんです。
その後の計算は、先の「式だけあって計算するだけの問題」と一緒なので、そんな単純な計算する訓練は別でして下さいって感じなんです。
※もちろん同時に行ってもいいんですよ。ただ答えまでがセットなのが絶対必要かと問われば、そんなことはないんじゃないですかって話です。

文章問題の問いかけを理解し、それを計算式に正しく書く。
どの数字を使い、その数字は使わないのか?
問題は何を問いかけているのか?

ただ「答え」を出すだけに終始するのではなく、
何のために、何の計算を、どのようにヤルのかを考える。
その習慣を付けさせてあげる。

そのためには、足し算やかけ算も順番があり、何の計算を何のためにやっているのか、子ども達も「ただだらだらと数字を並べて書いている」のではなく、「目的をもって、意味をもって、そこに式を書いている」状態にした方が良いと考えています。

なので「足し算やかけ算の時は、そんな計算の順番なんて考えなくてもいいですよ〜」じゃなくて、常に計算の時は何をどのようにするかを考えておくべきで、それは足し算やかけ算の時でも分け隔てなく訓練していてもよい、いや訓練しておくべき事なのではないかと思います。

順番なんてホントどうでもいい意味のないような事に思われますが、
これが算数で論理的に考える入り口であると思うので、順番は「くだらない変なきまり」かもしれませんが「常日頃から数字の順番を気にして、いつも正しい順番通りに書く訓練をしている」ことは子どもにとって大変大事な訓練の場・訓練の機会になるのではないかと思っています。
 
※まぁここまで書いといて何なのですが、文章問題を解くのって「論理的な思考」なのでしょうかね?もしかして国語力なのかもしれないとも思ってきました。
…ってことは毎日日記書いたり、たくさんおしゃべりしたりしたほうが教育や脳の為にはいいって話になってきたりして? …(^_^;)不安



【もう1つの側面】

このような考えに立つと、当然文章問題のテストの時は答えより式を重視します。
数字の順番を重視します。
式や数字の順番を重視すると先生が回答を見ただけで
その子が「どれだけ理解していて」「どこを理解していないのか」が
すぐに分かり発見できのではないでは?…と勝手に思っているのですが…

すぐに問題を発見できることにより、すばやく子どもに適切な対応がとれるようになるのでは?とも思っています。

どうなんでしょう?現場の方々の意見は?

※さらに付け加えるとしたら、
何かしらの規則ってのは、子ども達のため以外に、
全国の先生たちの”指導方法の統一"ってのも理由の1つかもしれないけど…
まぁ、もしこれが主な理由だとしたなら
「変なルール」は見直しすべき事案かもしれないですがね(^_^;)



【まとめ】

「9.0の減点問題」や「体積や計算の順番問題」は、
どれもおかしな事であるのは分かります。
正確ではありませんし、意味がありません。
ネットやテレビでおっしゃる通りなのだと思います。
私もそう思います。

ですが、それは「大人」にとってであり、
「算数を学習し終えた人には」という条件が入ると思います。

"これから"や"今"学ぶ子どもたちにとっては、
「論理的思考や数学の基礎を学ぶため正しく導くため」という意味でなら
「大人が決めた変なルール」は何かしらあった方が良い場合が多いと思いますし、
今回の件は全てそのような事例であるのではないかと思います。

※もちろん「大人が決めた変なルール」の中にも「いる」「いらない」はあるかもしれません。
 ただ素人の私には判断つきませんのでコレについてはお話し致しません。
 ただ今回の件についてネットやテレビでの意見等ですが
 あまりに頭ごなしとも感じとれるような不要論が飛び交ってましたので
 「ちょっと待て!いくつか論点がずれてないか?他の意見はないのか?」
 「俺の考えとみんなの意見が違いすぎる…」と思い書いた次第です。


ネットが普及し真実や正義が声高に振りかざされる昨今、
子どもの学習の場にも持ち込まれようとしていますが、
子どもって昔から何も進歩していませんし昔とそれ程差はないでしょう。

これまで先生たちが築いてきたすばらしい方法に、
我々素人が突然知ったかぶりで噛みついても太刀打ちできないのではないでしょうか?
現に現役の先生達の声がほとんど上がってこないし反論もないのは、
今回の件を相手にもしていないのかもしれません(^_^;)。

たぶんこれまでの方法論は間違っていないと思います。
もしかしてもっと徹底的に「規則」は守るべきなのかもしれないとも思います。

今後ますますテクノロジーが進化し簡単な労働はコンピュータが行うようになってくると、
親としては子どもを機械に使われる人ではなく使う側に、
コンピュータ(AI)が出来ない思考、コンピュータ(AI)にはマネのできない"人"ならではの発想ができる人にしたいと思います。
そのためにも小さいころから思考する訓練・論理的に考える訓練をさせたいと願ってる親は多いんじゃないんでしょうか?


さて、最後まで読んでみてどうでしたか?

「計算式の順番問題→算数の変なきまり」を話してきましたが、
変なルールって、あってもなくてもいいんだし、まぁ修行のみである子ども時代だけならそんなルールもあったっていんじゃない?
いや、もしかして変なルール案外バカに出来ないかも?もの凄〜く意味があるものかもしれないかも?
…って思いませんでしたか?

今回の件について何かしら思うところがあってこれを読まれておりましたら、反対意見の立場でも結構ですので皆様の何かしら考える材料の1つ・判断する材料の1つになれたら幸いです。

以上です。

  にゃんとな!( 山口 伸久 )